⚠️ネタバレしています。
未見の方はご注意ください。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」を最初に見てから約10年が経過した。
今、個人的に思うことをまとめていきたい。
「風立ちぬ」は、1930年代を舞台にした映画で、2013年7月に公開された。
主人公は飛行機の設計家である堀越二郎。
物語は主人公の少年期から中年期までを描いている。
公開時は、宮崎駿監督が作る最後の長編映画ということだったので、
期待と寂しさが入り乱れながら見たことを覚えている。
映画館には公開から日にちが経っていたが、
まだたくさんの人がいた。
映画を見る前に、今回は効果音を人の声で表現しているという情報を得ていた。
それもあってか、ドキドキしながら見た冒頭シーンでは、
主人公が飛行機を操作する音や、プロペラの回る音に、
どうしても意識が集中してしまった。
音は、人がやっているなんて全く気づかない!っという感じではなくて、
どことなく人の声なんだろうな・・・という感じはあるんだけど、
それが嫌な感じとか、気になるとかでは全くない、
でも自然ではない・・・
なんとも言えず不思議な音だなというのが、正直な感想だった。
ただ見ていく内に、その音は自然に耳に入ってくる様になった。
人が出している音とか、そういう事が全く気にならなくなった。
「風立ちぬ」という映画として、
その音がしているという感じに変化していった。
映画の中で、特に心に残っているシーンが二つある。
まず一つ目は、少年期の二郎のシーン。
特に家で過ごす場面が好きで、
学校から戻った二郎が2階にすぐ上がり、
それを妹の加代が追いかけ、階段を登っていく所なんて、
その姿を見ただけで、なぜか涙がにじんでくる。
これから二郎に起こる事を思いつつも、
こんな風にあたたかい家族の中で育ったんだなという事が
伝わってくる場面で、それが心を打ったのだと思う。
あと、当時は普通だったのかもしれないが、
二郎がとても綺麗な言葉使いをしていることも印象的だった。
母親や妹にも丁寧語で、それがお互い少し距離を置きながらも、
尊重し合っている感じがして、心地よかった。
二つ目は、物語の中盤でカプローニ伯爵が出てくるシーン。
特に二郎が頭でイメージしている飛行機が、
綺麗な音楽をバックに、なめらかな線を描きながら飛ぶシーンが好きで、
とても感動的な場面だと思った。
話の流れも、緊張感がありつつ淡々とした場面が続いたので、
一気にそのシーンで解放された感じで、
ジブリだ〜!!っと心が弾んだ。
もちろん、他にも感動的なシーンはいっぱいあるのだけれど、
私が特に好きだなと感じたのは、この二つだった。
見終わってから時間が経過した中で改めて感じることは、
当時の日本で「インテリ」と言われる人たちが、
どんな風に、何を考えて過ごしてきたのか、
そういう事を描いた物語にこれまで私はあまり触れた事がなかったので、
それがとても新鮮で、そういう意味でも勉強になる映画だったなと思う。
二郎が「1機も戻ってきませんでした」と語る「ゼロ」について考えることは、
避けて通れないことなんだけど、とても難しい・・・。
二郎にとって、飛行機(=「美しい夢」)を作ることは、
幼少期から願い続けた叶えたい夢。
その夢を実現するには、会社に所属する事が必要。
その会社では、自分がただ好きなものは作れず、
依頼主の要望に沿ったものでないとならない。
二郎はその会社で、依頼主の要望に沿いながらも、
自分の「美しい夢」(飛行機)を形にする為、「力を尽くした」。
完成したその「美しい夢」の「ゼロ」が飛ぶ姿は、
本当に綺麗で印象的だった。
ただ、その「美しい夢」をどう使うかは、依頼主次第で・・・。
依頼主にとってのそれは、戦争で使う為の乗り物で・・・。
その機体にはもちろん、人が乗る・・・。
時代が変わって、もしも今の時代に二郎が生きていたら、
分からないけれど、戦争に使われない、
最先端のとっても綺麗な飛行機を作ってたのだろうなと、
思ったりもする。
でも、あの時代に二郎が作った技術が今に引き継がれているわけで、
二郎がいなかったら、今の飛行機はもう少し違う形だったのかもしれないとか・・・。
色々なことを考える。
想像もつかない重たいものを背負っている二郎にとって、
最後の菜穂子の言葉は、どんなに救いになっただろう。
やっぱりこの辺りの事について語るのはとても難しい・・・。
自分の考えがまだまだ浅いから、その事をさらけ出すのが
怖いというのもある・・・。
すみません、やはりこの辺りの事については、まだまだ考え続けます。
今この自分が生きている時代を、
一生懸命生きて、その上で考え続けていきたい。
______________________________
文章を作成するにあたって、以下サイトを参考にしました(2023/4/17)。